「 国連中心主義、小沢理論の矛盾 」
『週刊新潮』'07年10 月25日号
日本ルネッサンス 第285回
雑誌『世界』11月号に掲載された小沢一郎氏の論文が興味深い。「今こそ国際安全保障の原則確立を」と題された「公開書簡」には、テロと戦う国際社会、アフガニスタンでのテロとの戦いに関して、日本は具体的に何をすべきなのかなどについて、氏の問題意識が明らかにされている。政権交代の可能性が現実問題として語られるいま、氏の考えが日本国の政策となる日も来る。それはざっと次のような内容だ。
①世界の平和は国際社会みんなで力を合わせて守っていく以外に、論理的にも現実的にも他に方法がない。
②国連中心主義か日米同盟か。それらは二者択一でなく両立出来る。
③日本人は決然としてテロと戦わなければならない。
④インド洋での海上自衛隊の後方支援活動は米軍の武力行使と一体であり、日本国憲法9条に反する。
⑤個々の国家の自衛権と国際社会全体で行う国連活動は異質、異次元のものだ。国家の自衛権を超えたものが国連の平和活動であり、たとえ武力行使を伴うものでも、国連決議による平和活動への日本の参加は、ISAF(国際治安支援部隊)であれ何であれ、憲法に抵触しない。
⑥自分が政権をとれば、アフガンのISAF及びダルフールで虐殺を行っているスーダンへのPKO(国連平和維持活動)への日本の参加を実現したい。
こうしてみると、日本の真の独立を目指すかに見える氏ではあるが、大きな矛盾に陥っているのも見えてくる。それは問題の発端を忘れ去っていることから生じている。
氏は、同盟とは「対等の関係」と主張する。だが、そもそも日本国憲法も国連憲章も、それらを作った戦勝国は、日本を対等な国などとは考えず、制度もそうはなっていない。日本国憲法の策定を命じたマッカーサーは、侵略を受けたとしても、日本には自衛のための戦争、自然権としての個別的自衛権さえも禁じようと考えていた。国連憲章もまた、53条で日本やドイツを゛敵国〟と定義したまま今日に至る。
根本を見失った゛国連崇拝″
にもかかわらず、小沢氏は日本国憲法と国連憲章に至高の価値を見出し、これら二つに通底する理念の実現に邁進すべきだと主張するのだ。戦後日本の国家の形を規定したこの大きな枠組みは、日本否定の精神に貫かれている。その点を見失い、その理念を理想化する小沢氏の主張は大いなる矛盾なのである。
それにしても、国連に対する熱い想いは、氏の従来の主張のなかで一貫している。96年に出版された『語る』(文藝春秋)のなかで、氏は、個別の国々の自衛権(個別的あるいは集団的自衛権)の行使によって平和を保つ時代はすでに過ぎ去り、国際的安全保障(国連による集団安全保障)、国連中心の平和維持以外に、平和を担保する道はない、と書いた。
同書では「核兵器は最終的に国連管理にした方がいい」とも主張した。国連への徹底した信頼、そこに日本の「御親兵」を献上するという国連中心主義は、民主党政権が実現すれば、国連決議を得るという前提で、武力行使を伴うISAFや、虐殺が行われているスーダンへのPKOにも自衛隊が参加することを意味する。
国際社会の安全を守る戦いは必要だが日本人の犠牲者だけは出してはならない、と言うかのような日本の現状から脱却する点において、私は小沢氏の主張を評価する。だが、その主張の根幹をなす、日本の集団的自衛権だけは否定したうえでの国連中心主義や、9条擁護と憲法至上主義は日本国の異形さを深めるだけだ。日本を現在に至るまで敵国と定義する戦勝諸国の論理と、日本の米国への事実上の隷属を永続させようと考えた米国の戦略を、無防備に受け容れるものだ。自主独立の気概をもつ日本になるべきだという小沢氏の主張とは相容れないはずだ。
国連への熱い想いとは対照的に、氏のなかで冷めていったのが米国への想いである。言葉では昔も今も、最重要の関係は日米関係だと言い続けるが、その変化は明らかだ。かつて氏は「アメリカは日本を全面的に庇護してくれた。(中略)そのアメリカが弱くなってきて、いろいろ注文をつけている。(中略)今度は日本が協力すべき」と書き、アメリカ社会の一部に孤立主義的な芽生えが見られ日米安保無用論が起きていることは、「日本にとって、非常にゆゆしい問題」であり、行動しない日本を米国が突き放してしまう可能性に触れて、「慄然というか、恐怖を感じた」と吐露している(『語る』)。
危険すぎる『小沢主義』
現実の国際政治のなかでの米国との関係の重要性をしっかりと認識していたこの発言から10年後、著書『小沢主義』(集英社インターナショナル)のなかで、氏は一転して対米協調に厳しい注文をつけた。「(イラク問題で)日本が国連決議を待たずにアメリカ支持を打ち出したことそのものを一方的に批判しているわけではない」としながらも、「そこにはたして日本外交としての見識や思想があったのか。あるいは国益に基づく批判があったのか。そんなものがあるとは、僕にはとうてい思えない」と、対米協調を否定したのだ。
今年8月8日には、テロ特措法について会談したシーファー駐日米大使に「日本の直接の平和・安全と関係ない所へ部隊を派遣し、米国などと共同の作戦をすることは出来ない」と、言い渡した。こうした10年前の姿勢と現在の姿勢の、極めて大きな違いをさらに理論化し、確定するかにみえるのが『世界』での小沢氏の論文だ。
だがそこには決定的な弱点がある。憲法の理念的解釈と現実の国際政治の力学との乖離である。氏が国連に寄せる全幅の信頼は、現実によっていとも簡単に裏切られている。安全保障理事会の常任理事国、中国は、スーダンをはじめ虐殺国家や弾圧国家に「内政不干渉」を基本にした゛資源外交〟つまり援助外交を展開中だ。ロシアは豊富な天然資源から得る莫大な収入で、過去5年間で軍事費を3倍にした。いまや中距離核戦力(INF)全廃条約からも脱け出す構えである。前代未聞の軍拡に走る中露両国が、小沢氏の主張する世界平和のためにみんなで力を合わせる体制に与する保証は何もない。
民主主義も法の支配も人権も自由も顧みない異形の国、中露両国が、日本が望む平和な世界を築くための国連決議を妨げた場合、どうするのか。それが日本の国益に大きく関わるとき、どうするのか。国連中心主義などと言っていられない。そのときに重要なのが日米同盟だが、小沢氏は日米同盟が果たす役割の死活的重要性について留意していない。
現実から目をそらし、国連と日本国憲法の非現実的理念に全面的な信頼を寄せるのは、日本国と国民にとって余りにも危険すぎるのだ。
信頼、正義が喪失した世相を表した漢字「偽」…
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トラックバック by 草莽崛起 ーPRIDE OF JAPAN — 2007年12月14日 09:48
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国連中心主義という幻想
小沢一郎氏主張のUnited Nations中心主義について取り上げる。
歴史上、United Nationsの安保理が正常に機能したことがどれだけあるだろうか?
米ソ冷戦時代はお互いに拒否権を濫…
トラックバック by 無名天地 — 2008年10月05日 01:48
「国連中心主義」を謗る櫻井よしこさんの冗談は止し虚さんか!?
櫻井よしこさんは、自己のブログに「国連中心主義、小沢理論の矛盾」という記事を掲載して、間接的に国連憲章と日本国憲法を謗っているが、 孫子の「兵とは国の大事なり、死生の…
トラックバック by mochizuki(望月孝夫)の Many Monkus! — 2008年11月15日 16:34